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香港閣僚宣言:世界は売り物にされた 

区龍宇(1)

2001年に始まった世界貿易機関(WTO)ドーハラウンドは、途中2003年に一時的な挫折を経て、2005年12月の香港閣僚会合で部分的な合意に達した。それは2006年の全面合意のためのさらなる準備の一歩である。

ドーハラウンドはWTOの前任事務局長によって「開発ラウンド」と呼ばれた。しかしそれは意図的な情報操作であり、今回の「香港宣言」において、それはあますことなく暴露された。大国と多国籍企業にとって、今回の交渉の主要な目的は、いくつかの飴玉を交渉の駒として、途上国の市場開放をさらに推し進め、より一層の社会領域と天然資源をビジネスチャンスに変えようとするものであった。

■ 農業交渉:味噌もくそも一緒くたに

これらいくつかの飴玉のなかでまず注目されるのが、2013年に農業輸出補助金を廃止するというものである。(2)この合意の対象はアメリカとEUである。なぜなら、両者だけが莫大な輸出補助金を支出する財政力があるからだ。だが、欧米が支出する最大の補助金は輸出補助金ではなく、国内助成金である。1999年、EUの農民一人が受け取った補助金は16,028ドル、アメリカにおいては20,803ドルに達した。(3)それは、多くの途上国の一人当たりの年収である数千ドルを大きく上回る。多くの途上国の農民が受け取る補助金にいたっては、ごくわずかな金額であり問題にもならない。そもそもWTO農業交渉では、いわゆる自由貿易の原則から、相当部分の国内助成金も段階的に削減させるとされていた。(4)しかしドーハラウンドでは、2001年の閣僚宣言から今回の香港宣言にいたるまで、「国内補助金を大幅に削減する」という大法螺がふかれ続けたが、結局それはなんら期限を決めずに終わった。豊かな国々が進める「自由貿易」の欺まんを最も露骨に暴露するものがこの農業交渉に他ならない。

では、いつの日にか欧米がその欺まん性を放棄し、貿易を歪曲する国内補助金を自由貿易の精神にのっとり削減ないしは廃止すれば、公正さを示したことになるのだろうか。それで農業交渉は良い交渉になるのだろうか。そうではない。なぜなら農業交渉それ自身は豊かな国々に対してだけ補助金の削減を要求するのではなく、開発途上国に対しても同じように補助金の削減を迫るものだからである。違いは段階的削減の期間において、先進国の6年に比べ、途上国は4年長い10年(1995年から起算して)であり、削減幅も先進国の20%よりわずかに低い13%であるというだけにすぎない。このような味噌もくそも一緒くたにする方法は、弱いものいじめに他ならない。欧米諸国が一年間に支払う農業補助金は1700億ドル(5)に達し、それが20%削減されたとしても、まだ天文学的数字の補助金が残るが、途上国の補助金は微々たるものであり、それが13%も削減されるということは川に落ちた犬を棒で叩くようなものである。前回の交渉ラウンドにつづいて、この弱いものいじめという精神は、今回のドーハラウンドにおいても引き継がれた。香港閣僚宣言は次のことを明らかにしている。第一に、先進国はサービス貿易および非農産品市場アクセスにおいて途上国がさらに譲歩するのでなければ、国内補助金を段階的に削減するという農業交渉の精神に沿った対策をとることをを望まない。第二に、農業交渉の精神とは、貧しい国と豊かな国を一緒くたにして、貧しい国の農業補助金を制限するものであり、貧しい国はせいぜいわずかな「優遇措置」を交渉の中から引き出せるにすぎない。

全構成国が段階的に農業補助金を廃止すれば、国際貿易において農産品の本当の市場価格を実現し、途上国に対する欧米のダンピングを根本的に解決することができるという主張もある。だが、このような主張は、たとえそれが成立したとしても、貧しい国と豊かな国との農業における不均衡を本当に解決することはできない。たとえいますぐに欧米が補助金を廃止して、コストを下回るダンピングがなくなったとしても、豊かな国の農業は、半世紀におよぶ国家の補助金によって、機械化された石油農業として発展しており、生産力のうえでははるかに貧しい国の小規模農業経済を上回っているからだ。

それはまるで、ボクシングのオーナーが、ボクサーAには最高の栄養食と最高のトレーニングを提供し、ボクサーBにはたいした食事もトレーニングも与えず、試合の一週間前に「平等原則」を導入し、AB両者に同じ食事とトレーニングを提供して試合に臨ませるようなものである。それを「平等原則」と言えるのだろうか。本当に平等を実現するのであれば、最後の決定的な時期において、どちらの側へも優遇措置を禁止するのではなく、それまでの方法を逆転させなければならない、Aには普通の食事とトレーニングを、そしてBには最高の栄養食とトレーニングというように。これと同じようにWTOが貧しい国に関心を持つというのであれば、欧米の農業補助金を廃止する一方で(6)、貧しい国が農業補助金支給する権利を認めるだけでなく、豊かな国が貧しい国に対して無私無欲の支援を行い農業を発展させなければならない。

今日の先進国における農業の発展は、国家の支援がなければあり得なかっただろう。西欧は戦後の一時期農作物の純輸入国であったが、80年代初めからは純輸出国となった。西欧は国家の支援によって農業を発展させてから、突如自由貿易の迷曲を奏でるようになり、豊かな国と貧しい国の農業補助金を一緒くたに制限し出すといいだした。貧しい国はそれによって一部の国家主権を剥奪され、零細農家の保護と補助金の支給ができなくなった。もしこれらの貧しい国が突如豊になったとしても(油田の発見など)、農業補助金は削減し続けなければならず、それは貧しい国の零細農家を破滅に追いやることになるだろう。このような農業交渉は、そもそも弱いものいじめの悪い交渉である。悪魔からは悪魔しか生まれない。この枠組みのもとで行われる交渉とそれがもたらす結果は、貧しい国にとって何ら恩恵のあるものにはならない。それゆえ、交渉によって先進国への市場アクセス拡大を実現し貧しい国の農民の利益を守るという考えも、今後は永眠していただかなければならないだろう。

■ NAMA:海と森をWTOに売り渡す

先進国が本来もっとはやくに廃止しなければならない農業輸出補助金を、2013年に廃止するとした目的は、途上国に非農産品市場アクセス(NAMA)交渉の合意を迫るためであった。これはあっちへ行ったりこっちへ来たりの軽業曲芸にすぎない。香港宣言では遂に、非農産品市場アクセスの交渉を展開することが確定し、WTOがカバーする範囲がさらに拡大された。WTOがその前身であるGATTと異なるのは、GATTは対象範囲が小さく、農業、繊維、被服などはカバーしていなかったことである。1995年に設立されたWTOによってはじめてこれらが対象範囲に含められた。だが、先進国はそれだけでは満足しなかった。農業輸出補助金の廃止を交渉の駒にして、途上国に市場開放を迫り、NAMA交渉に持ち込んだ。

「非農産品」とは何か。鉱工業製品という説明もあるがそれは正確ではない。2001年のドーハ閣僚宣言で明確に説明がされている。「それがカバーする産品は全面的なものであり、いずれの産品も事前に除外されることはない」(付属文書Bパラグラフ21)。すなわち、農産品以外のものすべてである。香港宣言では例が挙げられている。工業製品以外に、漁業、林業、各種一次産品(特に貴金属)などがNAMAに含まれる。

世界では3億5千万人が森林にたより生活する零細農家と先住民、そして4千万人の零細漁業を生活の糧とする人々が、WTOの枠組みのもとで売り物にされ、多国籍企業の搾取の対象にされてしまった。だから今回の閣僚会議で、アジア各国の漁民団体が抗議行動に参加して「WTO交渉から漁業を除外せよ!」というスローガンを叫んでいたのだ。農業をWTO交渉の対象としたことによって各国の農民が受ける打撃を見るだけで、漁民たちの反対に大いに道理がある事が分かるだろう。NAMA交渉は環境団体の注目の的にもなっている。なぜならはじめてWTOが海洋および森林資源を対象にしたからである。これまで無数のWTOのケースが明らかにしているが、WTOは多国籍企業のビジネス原則を環境原則や人権、労働者保護などの上位に置いてきた。

そしてNAMAがそれに加わる。すでに過剰に消費されてきた海洋と森林の資源はさらに脅かされる。実際、WTO閣僚会議の宣言案(12月7日バージョン)では、明確に「環境産品とサービスに関する関税と非関税貿易障壁をなくす」とある。そしてこの非関税障壁とは往々にして各国の人権と環境を守る法律を指すのである。最終的に宣言ではこの部分は削除されたが、起草者の当初の意図は明らかであり、宣言では次の一文が残されることになった。「多国間環境協定(たとえば「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約〔ワシントン条約〕」など)の事務局とWTOの間に公式的で恒常的な情報交換のパイプをつくる」(宣言パラグラフ31)。WTOによる多国間環境協定の事務局とのこのような関係は、狼に羊の番をさせるようなものであり、不安極まりない。水産品輸出大国の多くは、沿海に比較的豊富な漁業資源のある国の関連資料を公開させたいと考えてきた。香港宣言では正式にこの一文を採択した。これによって水産物の輸出大国が資料収集の力を増大させるのではないかと関係者は不安を募らせている。

■ NAMA:何粒かの飴玉と交換でよそ様の全財産を巻き上げる

「非農産品市場アクセス」交渉における途上国のNGOのもうひとつの不満は、まず、関税を通じて自国の発展途上の工業を保護する自主権がさらに制限されてしまうということにある。そして、宣言が採用した関税削減方式(いわゆるスイス方式)自体が不公平なものであることにも不満を募らせている。途上国に課せられる関税削減の幅は先進国よりも大きくなるからだ。この二つが合わさることによって、途上国の工業発展にとって極めて不利になる。

先進国と途上国の経済レベルの格差は歴史的な遺産である。同時に、先進国による長年の関税政策はこのような世界的不平等を強化してきた。長年の経過によって、先進国の関税構造は途上国にとって極めて不利なものに変化した。先進国間での関税は一般的にすでに低い水準になっているが、途上国からの輸出に対しては高い関税を維持している。その一方で、第三世界の自然資源からの搾取を効率よく行うために、豊かな国は後進国からの輸出に対する関税を次のように設定している。一次産品(主要には原材料)に対する関税を低く設定し、付加価値がつけばつくほど関税を高く設定しているのである。たとえば、先進国は第三世界からの原木に対しては極めて低い関税を設定して第三世界の輸出を刺激するが、おなじ第三世界からの家具については高い関税を設定し、第三世界からの輸出に打撃をあたえている。このような関税は「タリフエスカレーション」と呼ばれ、途上国の一次産品を搾取し、同時にその工業化を阻害し、植民地主義と宗主国による分業モデルを永続化するものであることは明らかである。

もしドーハラウンドが真に開発ラウンドであるなら、次のように不公平を改善しなければならない。先進国は根本的に途上国の工業化を阻害する様々な関税制度を廃止すると同時に、途上国に対しては関税削減の約束を迫らない。途上国は常に高関税を維持する必要はないかもしれないが、関税自主権は常に持ち続ける必要がある。なぜなら関税は途上国の発展にとって重要な道具だからだ。実際、先進国もかつては高関税によって工業を発展させてきた。しかし現在のNAMA交渉はそのような論理とは180度逆である。スイス方式による関税削減によって、途上国の関税削減幅は先進国の削減幅よりも激しいものになり、途上国の工業化を阻害する。もちろん途上国のあいだでも経済発展の水準の違いは大きい。だがこれは、WTOが途上国と先進国に対して同じような新自由主義的貿易原則(「自由貿易」は良くて「保護貿易」は悪い、関税削減は良くて高関税は悪い、輸出拡大は良くて、輸出減少は悪いという考え)を強制しようとしていることにどれだけ合理性がないかを一層明快に説明するだけである。

■ サービス貿易:自由貿易に名を借りて自由投資を密輸する

今回の交渉において先進国にとってのもうひとつの成果は、サービス貿易交渉の継続を確保したことである。2000年から関連交渉がはじまってから、サービス業の開放に対して途上国が消極的であることに対して、先進国は一貫して不満を持ってきた。しかし交渉が進まないことは何らおかしなことではない。サービス貿易の優位性はすべて先進国の側にある。世界の75%のサービス貿易は先進国によるものである。貧困国が先進国に対してサービス貿易を開放することは、自ら禍を招くようなものである。本来、サービス貿易交渉では、サービス市場の開放に関する交渉につくかどうか、そして開放することを約束するかどうかは、開放する国の自発性を原則としていた。だからこれまで交渉が進まなかったことは合理性のあることなのである。途上国の抵抗によって、欧米は今回の閣僚会議で完全勝利をおさめることはできなかった。12月7日の宣言案は、途上国が絶対に交渉の席に付くように迫るものであった。宣言案はつぎのように書かれていた。いずれかの国が別な国に対して、市場参入の意向があることを表明さえすれば、後者は「これらの要求を検討するために、これらの国々と多国間協議を行わなければならない」(宣言案付属文書Cパラグラフ7)。12月18日に採択された香港宣言では語気は後退しており、「これらの国々と多国間協議を行わなければならない」という無理な要求は削除されている。

しかしこの新しいバージョンはサービス貿易交渉をさらに一歩進めるものにもなったことは確かだ。それまでの二国間交渉が多国間交渉になったからだ。これまでそれぞれのは先進国が別々に、たとえばスリランカに対して市場開放の交渉を要求してきたが、今後は複数の先進国が共同でスリランカに圧力を加えることになる。スリランカは欧米に対する多額の債務があることから、そもそも本当に平等な交渉などできるわけがない。さらに今回の多国間交渉が加わったのであればスリランカのような小国は極めて不利な地位におちいるだろう。

また付属文書Cでは、各国メンバーは四種類のサービス提供のモード(7)において自由化交渉を「最大限」推進すべきである、とされた。とりわけ商業拠点の越境(投資の自由化)、自然人の越境(移住労働者)などの面が強調された。まず商業拠点の越境についてみてみよう。われわれは早くから、WTOの問題点はまさに、自由貿易の推進というだけでなく、自由な投資を通じて多国籍資本が世界各国の市場へ侵出することにあると指摘してきた。リカードの「比較優位」論は、モノの貿易について述べたに過ぎず、サービス貿易を含んでいないし、自由な投資についてはなおのことである。そしていま、「サービス貿易に関する一般協定」(GATS)のいわゆる四つのモードが、WTOが自由貿易の名を借りて投資の自由の密輸を行うものであることは明らかである。そもそもWTOのいう自由貿易は、多国籍企業の商業利益を労働者保護や環境保護の上位に置くものであり、そしてそのために各構成国の経済管理の主権を制限するものである。自由な投資それ自体は、自由貿易よりもさらに大きな被害をもたらす。モノの貿易は一回ずつ行われ、善きにしろ悪しきにしろ一回の取引が及ぼす影響は比較的短期間である。だが投資はそうではない。海外からの投資はその国の労働および天然資源を長期的、かつ直接的に利用するものであり、もしその国の政府がそれらに対する管理主権を失うことになれば、外資が自由にその国の労働者や天然資源を搾取することになる。

■ サービス貿易:公共資産の私有化

サービス業には、公共部門を中心とした多くの事業、例えば上水道、教育、医療、介護、郵政などが含まれる。香港宣言では、各国が来年までに自由貿易と自由な投資に関する協定の合意に達することを求めている。それは各国が大規模に民営化を推進し、外資が重要な公共資産を買収できるようにすることに等しい。香港宣言では方向性が確定されただけであるが、同時にサービス貿易交渉の日程が正式に確定された。

2006年2月28日までに、他国にサービス貿易市場の開放を求める国は、多国間の市場開放要望(リクエスト)を提出する。
2006年7月31日までに、リクエストを受けた国は第二次改定オファーを提出する。
2006年10月31日、リクエストを受けた国は最終的約束表案を提出する。

香港政府はすでにWTO各構成国に対して、公衆衛生サービスを開放するというオファーを提出している。そして上記タイムスケジュールにそって合意に持ち込もうととしている。香港の社会運動は、公衆衛生や清掃部門が責任を負ってきた公営事業を私的資本に売り渡させないように今すぐ活動を開始しなければならないだろう。

自然人の移動は、多国籍企業が率先して作成したパラグラフである。低賃金の労働力(専門職を服務)を第三世界から先進国に送り込み賃金水準を引き下げる梃子にするものである。

■ 途上国の分岐

今回の香港閣僚会議はドーハラウンドの交渉をいくらか推し進めるものになった。WTOを批判する多くの国際NGOは失意をあらわにした。G20(20カ国の途上国の連合)のリーダーをつとめるインドやブラジルなど途上国の大国が他の途上国を売り渡したと批判する主張もあった。それはそのとおりだろう。だが多くの批判者が中国政府をあっさり不問にしていることは、奇妙であるとしか言いようがない。なぜなら中国政府の立場も同様にはっきりとしているからだ。中国政府の立場とは、先進国が途上国に対してほんの少し譲歩すれば、先進国の交渉スケジュール、すなわちNAMAとサービス貿易交渉を全面的に支援する、というものである。薄煕来・中国商務部部長(通産省大臣)は「各方面の更なる政治的誠意をもちより、必要な臨機応変を示し、積極的にドーハ開発ラウンド交渉の進展を推進し、香港会議において実質的な成果をかちとろうではありませんか」という胡錦涛・中国国家主席のメッセージを代読した。中国の代表団もすべてのグリーンルーム(密室)交渉に参加した。このグリーンルーム交渉は先進国といくつかの途上国の大国でおこなわれ、多くの途上国は参加できない。会議に参加した中国政府代表の馮軍は、中国に対する途上国の期待は大きく、中国が前面に立って途上国の利益を守るように期待されている、と語った。だがこのような期待は必ず裏切られるだろう。薄煕来ははっきりと語っている。「中国は中低位品目においても優位性を持っており、新しい市場を開発したいと考えている」。中国、インド、ブラジルの三カ国は2003年カンクン閣僚会議で先進国の強引な交渉に歯止めをかけたが、それは欧米とのあいだで妥協条件の合意に達していなかったからである。合意に達した後はこれら諸国は「反帝国主義」でもなんでもなくなるだろう。

すべての途上国に共通の利害があり、長期的な連合を形成して覇権的大国に抵抗することができる、という幻想も裏切られるだろう。途上国もさまざまであり、国際政治はこれまでも弱肉強食のジャングルのルールが原則であった。大きな途上国が小さな途上国を苦しめることもこれまでも当たり前であった。中国、インド、ブラジルの政府は、大国としての力を利用し、同時に途上国の市場を開放させようとするだろう。社会と環境が支払う代償は無視されるだろう。この三カ国の政府はその時々で戦略を変えるだろうが、その根本的立場を変えることはないだろう。すなわち、まず何よりも自国の大企業のために世界市場の分け前を確保するということだ。世界の労働者民衆や他の小さな途上国のためには動かないだろう。中国政府は自国の中低レベルの工業製品を全世界で販売しようと躍起だ。インドは、先進国が自然人の移動を開放し、インドのITエンジニアがアメリカでドルを稼ぐことを夢見ている。ブラジルは自国の大農業産品の輸出のために市場開放を要求している。自国の商業利益のためであればこの三カ国は欧米との協力を惜しまないだろう。もちろんこれら諸国のあいだにも矛盾は存在しているが、商業利益を前提とすると共通の利害関係が最も重要であり、矛盾は二の次とされるだろう。この三カ国が徹底的に最後まで欧米に対抗し、小国の利益を守ってくれるという考えは、失望に変わることは避け難いだろう。

このような分析に対して「ではなぜ途上国は今回屈服したのか」という疑問もでるだろう。途上国大国以外の小途上国の閣僚は、自分自身が財界の公僕であり、労働者農民の死活に関心などなくビジネス的打算で動いたか、そうでなければ大国政治のなかで主張できずそれをただただ恥じ入るしかなかったのだ。その結果、せいぜい恨み言をいうだけで実際には何もできなかった。「反帝国主義」として注目される二つの小国、キューバとベネズエラも態度を「留保する」というレベルにとどまった。

■ WTOに「みかじめ料」は支払うな

ロビー活動を通じてWTOを少しでも改革しようと努力する人々もいる。だがそれは難しいだろう。【悪魔は悪魔しか生まない。】WTOの主要な18の協定はどれも次のような美しい新世界をつくるためにつくられた。人権、労働者の権利、女性の権利と環境に関する法律を「非関税障壁」として、多国籍企業のためにそれらを解体する、それによって多国籍企業は全面的な貿易と投資の自由、すなわち人と自然を全面的に搾取する自由を享受し、いかなる民主的監視や法的制限を受けることもない、というような世界である。ABB工業グループの会長は次のような名言を残している。「わたしはグローバリゼーションを次のように定義する。つまり、私のグループ企業が望むときに望むところに投資する自由、そして、わたしのグループ企業が生産したいものを生産し、買いたいと思うところから買い、売りたいと思うところで売り、しかも労働法規や社会慣行による規制を可能な限り撤廃する、そうった自由を享受することである」。かれらはまだそのような社会をつくりだせてはいないことは確かだ。しかしもし人々が今すぐにWTOに反対しなければ、そしてWTOの背後にある巨大企業グループに対して反対のこえをあげなければ、そのような社会の到来にいっそう近づくだろう。

第二次世界大戦の後から1980年代、あるいは遅くとも90年代までに、香港をふくむ世界各地の人々の生活がいくらかでも向上した主要な理由の一つは、さまざまな社会運動が政府に対して、法律や富の再分配、公共部門の発展などを通じて、商業利益が社会を凌駕するという資本の権力を制限させてきたからである。だが最近の20年間は、大企業が全面的に反撃にでた時期でもあった。グローバリゼーションの時代とは簡単に言ってしまえばそのような時代である。だが、いかなる社会制度や社会政策も、すべて人間が生み出したものである。人間は合理的な制度と政策をつくることができるし、不合理な制度と政策を変革することもできる。問われているのは、どのような処方箋をつくるのか、ということである。

今回の香港閣僚会議を経て、われわれはますます次のことを確信するに至った。このWTOという組織はなんら労働者民衆に奉仕するものではなく、環境保護に奉仕するものでもない。それは、巨大企業と支配エリートによる反撃に奉仕するものである、ということだ。悪魔から天使が生まれることを期待するように、このような組織によりよい合意を期待することはできない。だが次のような意見もある。貧しい国はWTOが良くないことは知っているが、WTOがなければ状況はさらに悪化するだろう、なぜならWTOがなくなるとルールなき弱肉強食の貿易制度に直面するだろうから。

だが、知っているだろうか。暴力団が「みかじめ料」を強要するときにも同じように言うことを。もし「みかじめ料」を払ったら安全が保障されるが、そうでないと大変なことになるよ、と。だが頼みもしないこのような暴力団による「保護」はきっぱりと拒否することが最良の方法であることは誰もが知っている。社会改革をもとめる人々は、それだけに止まらず、このような暴力団を生み出す社会的根源を徹底して作り替えるということに志を置くべきであり、決してそれに巻き込まれてはならない。民主的気概を持つすべての友人たちよ、ルールなき弱肉強食とルールある弱肉強食のどちらがより良いかを比較するのではなく、そのどちらをも拒否し、いまこそ全面的な社会的改革を志そうではないか。
2006年1月9日


原注
(1)筆者は香港グローバリゼーションモニターの編集委員
(2)もうひとつの飴玉は、後発開発途上国(LDC)に対する優遇措置である。2008年までに開発国と発展途上国はLDCの産品の97%を無税務枠とするもの。現在、世界50カ国のLDCの一人当たりの年収は750ドルを下回る。LDCの経済規模は世界の1%に満たない。
(3)補助金は耕地面積の大きさによってきまるので、小規模農家の受け取る補助金は大規模な商業的農業のそれに遠く及ばない。
(4)主にはイエローボックスと呼ばれる補助金の削減である。しかしブルーボックスの補助金も貿易を「歪曲」するものもあるとされるが、保留することができる。
(5)EUは2002年だけで国内補助金は860億ドルに達した。アメリカは2002年からの新しい農業補助金支給法案によって820億ドルに達するとされた。
(6)欧米の小規模農家への補助金は考慮されるべきだろう。
(7)サービス貿易の四つのモードとは、越境取引、国外消費、商業拠点、人の移動を指す。

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